会社のコーポレートをこっそりリニューアルした。

十周年の節目に会社名を「うとね」に変更したものの、コーポレートサイトはほとんど手付かずだったわけだが、半年ちょっと遅れて、ようやくリニューアルできた。「こっそり」リニューアルした理由は簡単で、作りかけで公開せざるを得なかったからだ。

合同会社うとねコーポレートサイト

この個人ブログを見る人は限りなく少ないだろうから、せっかくだから記録を残すことにする。

メインの画像は完全な作りかけだ。

制作が間に合ってないのに、とりあえず撮影して掲載している。これじゃ、何の会社だか全く分からないので、何とかしなくちゃいけない。

私は、この木片を組み合わせただけの固まりが本当にきれいだと思っている。これから、もっといじって、何だかわかるものに構成していくのか、いかないのか、私にもまだ分からない。(やるつもり)

新しいコーポレートサイトでは、今まではけっしてやらなかったことをついに行った。それは「サービスの掲載」と「金額の提示」だ。BtoBのビジネスを行う法人としてのコーポレートサイトを作ったことになる。

上記のような、当たり前のことをやってこなかったのは、ひとえに「会社なんかではない」という、しょうもない自意識があったからだと思う。白状するが、私はただの、そこらへんにいるフリーターの兄ちゃんでいたかった。

会社を作って社会的に活動しながら、一方で、モラトリアムを手放せない。しょうがない自意識の殻の中で生きてきた。アート制作として会社を作ったと思っていたかった。そして、ちゃんとしたサイトを作ると、それが損なわれるという恐怖があった。


今回、外部の人が見ても、ちゃんとしてる(ように見える)サイトを作った。私の作品性はそんなことでは損なわれないと分かったというのが大きいが、覚悟を決めてこの会社で仲間と生きていこうと思ったからというのもある。

不完全な状態で公開したこのサイトだから、やはりこっそりだ。

完璧だと思うまで人に知らせたくない。作品制作やってたときの自分は、今でも消えておらず。

おれはまだここでもがいてる。

変化することも、変化できない人を攻撃しないでいるのも難しい。

夜中、藤井風さんの音楽聴いていたら、綺麗だなって思えて、すごくほっとした。それで安心して、しばらく聴いて、こういう時にこういう気持ちになれる音楽なんだなぁと考えた。それで、しばらく聴いてたらもう理屈抜きに好きな気持ちが湧いてきてる。

私は37歳なのだが、新しく生まれてくる音楽をすんなり受け止めることができなくなって久しい。19歳とかそんくらいの頃は意味分からんブラジルだか外国だかの音楽を、ジャケ買いして、気に入ったらディグって、今考えたら意味分からんけど。たくさん聴いて心に入れ込んで悦に入ったりしていたくらい、ガバガバだった。

藤井風さん最近知った。わりとすんなり好きになれた。嬉しい。

変化は簡単じゃない。

最近の岸田首相の元秘書官のLGBTQに関する発言には本当に嫌気がさしたが、私がそう思えるのは幸運なことかもしれないと思った。LGBTQなんて小学生の頃は私も知らなかったけど、大学時代には世界の人権感覚に触れる機会があり柔軟な心で受け入れることができた。それは、もしかしたら単にラッキーだったのかもしれない。

元秘書官の彼はもしかしたら、自分の知らないうちに起こった変化についていけず、価値観の変化を迫られて、まるで疎外されているような攻撃されているような、みじめな気持ちになってしまったのかもしれないと思った。

総理の秘書官を務める人が、件の発言が間違っていることが分からないほど愚かだったとは思えない。大人になって、自分の親しんだ価値観を変容させられない彼が持っていたかもしれない苦しみや焦りを勝手に想像して、自分の中にあるその種の思いについて考えてる。

おれは定年まで好きなデザインのお仕事できるかな。とか考えるが、きっとしんどいだろうね。彼の発言は良くないけど、今は彼を許してあげてほしいと思っている。代わりに、ごめんなさい、と言いたい。夜中だからだろな。

かっぱ橋道具街

普通の良い会社になります。

中島康晴

「本来の中島さんは、多様性だとかチームの団結だとか、そういうものと一番遠く離れた人間じゃないですか。本来の性質と正反対のことをしようとしていると思います。歪んでいると思います。めちゃめちゃ変人でメンヘラだと思います。」

ざっくりの記憶だが、そのようなセリフを信頼する人間に言われた。飲み会で。あれから1ヶ月経ってもよく考えている。ショックとかでは全然ない。

彼は言葉選びが妙に上手だ。「変人」とか「歪み」とか、私はそう言われると喜ぶことを良く知っている気がする。

  • ホワイトな職場をつくろうとしている
  • 働きやすい環境をつくろうとしている
  • 親切な良い人であろうとしている
  • 自由で闊達なコミュニケーションがとれるチームを作ろうとしている
  • 「みんな仲良し」な関係を作ろうとしている

ざっくりと上記のようなことをやろうとしている私に対して、

「本当はそんな人間じゃないだろう。」と、彼は言ってるんだと思う。矛盾しているようにも見えるのかもしれない。

実際、私は他人の思いを軽視しがちな傲慢なところがあるし、無神経で不用意な発言で失敗したこともあった。そんなふうに自分のことを振り返ることもできる。

だけど一方で、メンバーと良い関係を築いて、良い制作を続けていきたい。普通に会社を良くしていきたいと考えている。

私がこんなことになった経緯

『「会社」っぽくしたくない。』というのが、10年前に私が作った会社のざっくりとしたコンセプトだった。絵を描いたり、アートを作ったりしていた私は、その作品つくりの延長線上に会社を捉えていた。

当時の私は国民年金の未払いもずいぶん放置していたフリーターで、その日暮らしだった。一度「レール」から降りると決めてしまうと、人間は社会的な価値観から解放されて気楽になるもんだなと、よく思っていた。「ちゃんとした常識人・大人」みたいなものに一生ならないために、独立した存在であるために、会社設立は、その手段になり得るかもしれないと、漠然とした期待と憧れがあった。意識の低いスタートだ。

当然、すぐに無理だとわかった。会社が存続するために、クライアントに対して責任を負うのは大変だった。社会的な責任を負わないといけない。

当初の憧れは心の奥底に残したまま、上部に忙しさが堆積し、そんな日々を楽しく幸せに作るために必要なことを考えて積み上げていった。

結果、私は「ちゃんとしてるっぽいことをやりたくない。」という、会社のメンバーからしたら、不思議なスタンスをうっすらと漂わせながら、「組織力を高めましょう。」「技術力を高めましょう。」とか、「より良い制作環境を作っていきましょう。」みたいなことを言う人間になったのだと思う。

  • 決まりっぽいものに抵抗がある
  • 「定例ミーティング」に抵抗がある
  • およそ会社っぽいものには抵抗がある
  • 「ゆるくやろうぜ」みたいな感じのものことが好き
  • そのくせ、いやに仕事に質にこだわろうとするところもある

そのあり方に、不可解な違和感を感じさせていたのかもしれないと思った。

うとねは変わっていくという覚悟が決まった。

10年経って、気がつくと、うとねは変わっていくという覚悟が決まっていた。長い時間、心の奥に沈殿していた思いを拾い上げて、そのドロドロを手で払ってみたら案外すーっと消えてしまった。

うとねで活躍してくれている優秀なメンバーたちのおかげだ。最近読んだ本でダメな社長のところにこそ優秀な人が集まってくれる話が書いてあったけど、こうして起こることなのかもしれない。贅沢だ。

10年間、積み重ねてきたことを、もっと高めて価値のあるものにしよう。この会社を素直に良くしようと思う。つまり、普通の会社になれば良いと考えれば良い。何も難しいことはない。私が今まで無意識にやろうとしていたことに比べたら簡単なことだ。

「覚悟」という言葉には実態がないと思っていた。だけど、もしかしたらこういう時に使うのが許される言葉なんじゃないかと考える。自分の力では、なかなか変えることができなかったもの、なぜだかわからないが大切だと思って執着していたことを、あっさりと振り払える瞬間が訪れるんだな。

1年くらいの時間をかけて、長いこと空間の中を対流していた違和感を特定してそれをあっさりと、溶かすように手放すことができた。それを「覚悟」と、初めて自分で呼んでみようかなと思う。

…しかし、本当にお粗末な話だったと思う。

でも、しょうがないよなぁ。恥ずかしながら、こんなものなんだから。

まだまだここから。がんばるわよ。

2022年の振り返り

中島康晴

今年は良い一年だった。満足している。年末になると、なんだかんだ毎年そう考えている私だが、今年ばかりはちょっと違う。今年は何しろやべぇトラブルがなかった。例年と違って、心穏やかに一年が過ぎた。

起こした変化

ChatWorkの利用を廃止、Microsoft Teamsを導入してコミュニケーションの質を高めた。声をかけあい、新しい技術を共有しあえた。制作物の質も上がった。制作スピードもあがった。入社時には未経験だったエンジニアチームはゆっくり着実に成長している。

デザインツールにはXDを取り入れた。プロトタイプ制作を制作の標準フローに組み込んだおかげで、クライアントとの認識の齟齬もなくなった。

大変喜ばしいことに制作メンバーの変動はなかった。おれは昭和の経営者みたいな考えをしているので、欠員なく走りきれたことが、実は一番嬉しい。来年も4人で作るよ!

情報をひとりで抱えるのをやめた。そのおかげで、10年間絶え間なく続いていた絶望スケジュールは大きく改善された。クライアントからの催促ではなく、私たちからのプラスアルファの提案を作り出す余裕も生まれてきている。(まだ完璧じゃない。)

得られた結果

2月に納品したクライアントサイトが、第10回WEBグランプリのコーポレートサイト部門において優秀賞を受賞した。

本当のところ、この出来事は、10年間続けたデザイン制作・Web制作のお仕事に対して、初めて報われたような気持ちになるできごとだった。そして、良い仕事は次の出会いにつながった。知らなかった人たちと出会ったり、ポジティブな変化が次々と起こった。

社名を「うとね」に変えた

事業継続10周年を迎え念願の社名変更もおこなった。経ってしまえばあっという間だったけど、私には長く親しんだ「合同会社なかじま制作」という社名に別れを告げ、「合同会社うとね」として新しいスタートを切った。

カメラおじさんになった

また、私にとって大きな新しい挑戦として「スチール撮影」を始めた。この10年間「写真」を外部に依存していた。デザインの質に直結するビジュアル要素なのに、余裕がなすぎて着手できていなかった。でも、ついに、うとねではスチール撮影を行うようになった。

Canon 1DX MarkⅡ

多くのカメラマンがミラーレスカメラに移行しているというのに、重たく大きい一眼レフを担いでクライアントの元へ出張して撮影を始めた。楽しい。カメラがある、それだけで毎日がただただ楽しい。あぁ嬉しいなぁ。

デザイナーなのに、PCはMACじゃなくてWindowsだし、スマホはAndroidだし、ミラーレスカメラじゃなくて一眼レフなのが、私って感じだなぁと自分で思う。

まとめ

良いことしかない一年だった。

来年はマーケティング面を強化する。せっかくWebサイトを作成したのに、グラフィックを作成したのに、その結果についてフォローできないという課題が、うとねにはある。この課題を解消して、クライアントの利益に直結する仕事をして、ずっと制作を続けていきたい。ここなら安心して作り続けていくことができる。いつか思い描いた、そんな場所に少しでも近づきたい。

つくって、つくって切り開いてきた10年だった。「好きなものが増えると、人は自由になる。」これは、なかじま制作を立ち上げる際の理念だ。「自分には作れる」と気づいた19歳くらいの頃、全てから解放されたような気分になって、今日まで続く道を歩き出した。いつからか、あんな「青臭くて安っぽい言葉」とうんざりすることも多くなっていた。でも、、、間違ってなかったぞ。

次の10年もつくる。つくって、つくって切り開く。

うとねの理念は「より良くつくる」という短い言葉に決まった。これを、また10年かけて深めていくことにする。

社名を「うとね」に変更する

中島康晴

個人事業主時代から含めると10年目を終えまして、そのタイミングで会社名が変わります。2022年6月末です。大きな準備はまだしていないのですが、そろそろしなくちゃいけませんね。社名変更の手続き。銀行口座名の変更。お付き合いのある会社様へのご挨拶。あとロゴマークやら、名刺やら、それからウェブサイトやら。

あたらしい会社名は「合同会社うとね」です。今の会社名の面影が全然ありませんか?

この会社名の発案者は、隣の席でバリバリ仕事してくれているデザイナーです。ぼくは新しい社名、本当に気にいってます。心の中で何度も唱えているせいでしょうかね。しっくりきています。素晴らしい社名で新しい船出です。

なかじま制作という社名にさようなら。ありがとうと言いたい。

社名は変わりますが、それ以外は何も変わりません。会社は変わらず存在します。代表も引き続き中島康晴が務めます。今後ともどうぞよろしくお願いします。

ひとりだったら難しいけど、助けてくれる人がいればできるかもしれない。

中島康晴
水彩紙マーメイドにターナーのアクリル絵具で色をのせてある

なかじま制作に従業員として関わってくれた人は多くない。現在働いてくれている人を含めると、合計で5人だ。個人的には、多いと思っている。5人もの人が関わってくれた。

仕事観

「『仕事ができる人間』ではなかった。期待していたより、思っていたより、優秀な自分ではなかった。」26歳で独立して以来、頑張って働き続けてきて、35歳になろうとしているぼくが、自分自身について思っていることのひとつだ。

そのことについて泣き言を言ってもしょうがない。ぼくには両手があり、そしてこの両手を信じてくれる人がいる。何か選択権があるとは思わない。続けていこう。これから先も、その思いはそんなに変わらないはずだ。自分のこの凡庸さに挑み続けたい。

フリーランスの限界

独立してから、ずっと孤独だった。フリーランスでいると、つながりを感じることができず、制作の喜びも大きくなかった。法人化して、従業員を雇うことにしたのは、このままでは幸せになれないと感じたからだ。

イラストレーションの制作

冒頭の、画用紙の写真はイラストレーション制作のために、スタッフに用意してもらったものだ。画用紙に色を塗り、それを取り込んでデータにする。PCの中で貼り絵を作りイラストレーションにして、デザインの中で利用する。

コミュニケーションが下手でも、たとえ経済合理性の面で非効率的になったとしても、独りでいることよりも、答えに近い場所にいるはずだ。繋がりをつくり、複数人を介して作っていくことを選びたい。そうして、作る。作る日々を繰り返すうちに、いつのまにか何となく笑顔になれたらいいな、と思う。

無責任なフリーターだったはずなのに、気づけば34歳になって、もうすぐ3児の父親になろうとしている。

中島康晴

いつからか、大人になった。

なかじま制作という社名は、なかじまが制作しているという、身も蓋もない発想で思いついて、そのまま決まった社名だった。(「ひねらない、工夫しない、かっこつけない。それが逆にかっこいいだろう」という、かつての自分の嫌らしい自意識を思い出すにつけ辟易とするが、34歳となり、おっさんとなった今、そんなことはどうでも良い。どうでも良いはずだ。)

6月、北海道のとある町の高校で、何人かの高校生たちにWebメディアコンテンツ制作についてのワークショップというか、話をする機会をいただけた。

その時に、子どもたちが可愛いと気づいた。当たり前か。高校生に対して、子どもといっていいのかな、まあいいや。本当にかわいかった。そして、そう思った自分は、いつのまにか「大人」のようになってきたのかもしれない。おれは高校生の頃から変わらないつもりでも、何か意識を切り替えたつもりでもないのに。そういうものなんだろうな。

最近もデザイン制作をしている。隣の席にはコーディングを進めてくれるスタッフのNさんがいる。偶然だが、おれの名字と非常に似てる名字で、丸メガネをかけていて、同い年の男。そんな人が8月から加わってくれて、メキメキと力をつけて助けてくれているから「なかじま制作」という社名も、もうちょっとこのままにしておこうと思った。こないだ、Nさんと2人で外部に打ち合わせにいったら「親族の方ですか?」と言われてしまい、笑って弁解した。

「なかじま」っぽい名字の人で、弊社で働きたいと思うかたがいたら面白いのでぜひとも、ご連絡をいただければと思う。

来年の夏には、3人目の子どもが生まれてくる。

子どもは勝手に生まれてくるわけではない。妻と話し合って、3人目を迎えようと決めて、そういう運びになったのだ。これも当たり前か。妻は、体の変化が早速起こり、大変そうだ。おれも色々と大変だ。

男は「仕事をがんばる」というのが愛情表現だと思っているが、女性にとってはどうもそうでないらしいということを、どこかで読んだ。女性にとって愛情表現の基本は「気にかける」ということだという件だ。女性は愛情を持っている相手に対して、「気にかける」ことを通して愛情を伝えている。子どもを育てるという本能と密接に関わっているということらしい。だから、「気にかけてくれていない」と思うと、愛情を感じないのだという。こういったことは多く心あたりあるよね。

義務を果たす。責務を果たす。(つまり、ちゃんとお金を稼いでくる。)これ以上の愛情の伝え方ってあるのって、考えるのが男の考えだそうだ。こんなに極端なこともないけど、この話はよく分かるな。

言いたいことは大したことじゃない。妻の体に気をかけましょうね、本当。

日常はつづく。

さぁ、今日も頑張るぞ。なかじま制作に制作スタッフとして加入してくれる方、探しています。Webデザイン制作が好きで、イラストレーションが描ける人で、うちに合う人、いないかなぁ。

募集要項はこちら

事務所を移転しました。

中島康晴

2012年に「中島康晴制作事務所」として事業を開始した。たしか1年以内に「なかじま制作」に屋号を変更。当時は個人事業主だったので、屋号なんてあってもなくても同じようなもの。

2017年 、法人化して「合同会社なかじま制作」になった。同時に、従業員としてアルバイトさんを雇い、 仕事を教えながら、 手伝ってもらいながら、少しづつ仕事を進めてきた。

今年、2019年5月には、事務所(正確には、自宅の一室だが)を、新宿区から千代田区飯田橋へと移転した。ちょっとだけ広くなった。

さて、また頑張ってお仕事しよう。
そんなわけで、2019年7月25日現在、アルバイトさんを募集しています。

今までの、ゆ~っくりな成長もいいけど
今年一年は、がっつり成長したい。新しい事務所で一緒に働く仲間を求む。

面接を希望の方は、まずは募集のページをご覧ください。
募集概要はこちらのページ

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

中島康晴

今年も一歩一歩、歩みを進めていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

意識していないから存在に気づかないけど、そこにあるものを拾いあげる。

中島康晴

「交わしたはずのない約束に縛られ、破り捨てようとすれば、後ろめたくなるのはなぜだ。」という歌いだしの、歌がある。

KIRINJIの「Drifter」という曲で、本当に大好きなわけだけど、ぼくが惹かれる理由はこの歌いだしにあると感じている。

いつもは意識していないから、見ていないせいで存在に気づかないけど、ずっとそこにあるもの。誰も気にしていないものだけど、誰の生活の中にあるもの。それを浮かびあがらせてくれて、目の前に提示してくれるものは、何であれ素晴らしい。ホンモノの仕事してるなぁと感じます。芸術家なんだ。

デザイナーも、画家も、イラストレーターも、ぼくは、やるべきことはそういうことだと思う。

中島 康晴
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合同会社うとね代表の中島康晴の個人ブログ。仕事のことも仕事以外のこともアウトプットする場所です。デザイナー/フロントエンドエンジニア。3児の父。

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